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「得ようとして得られず、与えたもので」

望む学校、希望する会社、豊かな暮らし、苦しみのない生活等など、若いときから自我が目覚めたくさんの欲求が沸いてきた。
必死に得ようとしたが、何一つ得ることはできなかった。
謙虚になるように、感謝の気持ちを忘れないように、地に足がついた生き方をするように、と自我の欲求が満たされなかった。
得ようとして得られなかったことで、自分というものがつくられた。
自分が周りに与えたもので人生がつくられていくように感じる。
人の心を傷つければ自分が傷つき、人に喜びを与えれば自分に喜びが返ってくる。人生はブーメランのように与えたものが確実に返ってくる。
少しでも善きことを周りに与え続けていきたい。
異次元の人である仏陀についておそれおおくも少し語ってみる。
釈迦族は4大王国のひとつコーサラ国の大王の庇護を受ける小領主であった。もし、ゴータマ・シッタルダ=お釈迦さまが4大王国の王子であれば、仏教は起きなかった。また、お母さんである摩耶夫人がお釈迦さまを出産したのち1週間でお亡くなりにならなければ、仏教は生まれなかったと思う。お釈迦さまも、目に見えるものが得られなかったお陰で悟りをお開きになり覚者になったと思う。
そして、天地自然の理を「縁」として世の人に説き続け、80歳で涅槃に入られ、与えたものが縁となって起きる、「因縁生起」が生き続けている。