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『トルストイの「二老人」を読んで』

小学生の時に読んだ。内容は記憶していない。
69歳になって手に取った。
エフィームとエリセイの二人の老人が、そろってイスラエルの聖地エルサレム巡礼をすることになった。エフィームはお金をたっぷり持ち、いろんな段取りも済ませたが、留守中の我が家のことやお金のことが気になって仕方がない。
一方エリセイは、みんなが用立ててくれた少ないお金を持って留守中のことは家族任せ安心して出かけた。ところが、途中、水をもらいに立ち寄った農家の惨状を目にしたエリセイは、その人たちを助けるためにわずかなお金を使い農地を取り戻し、家畜を買い戻した。その結果、エルサレム巡礼を果たすことができなかった。
ところが、エルサレムに到着したエフィームのみたものは、ローソクの燃えている一番いい場所で祈りをささげているエリセイの姿だった。
神や仏や先祖は、神棚や仏壇やお墓にいるのではない。
神・仏・先祖は、私とともにいる。
私の行動やこころの中にいると思った。
教えを実践しないでエルサレムにいち早く到着するのではなく、日々の生活の中に祈りがあり、実践があるのである。祈りとは私の生活すべてである。
できるだけ、後悔しない懺悔の生き方を心掛けたいと、69歳の私は「二老人」から学んだ。