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「宛がい扶持」

あてがいぶちとは、与える側で適当にみはからって渡す金や物。
または、そうした与え方をいう。
辞典によると、近世に主君や雇い主が家臣や雇い人に与えた扶持米(ふちまい)に始まり、現在は給与などにいうとある。
父は生前よくこんなことを言っていた。
『いいか、名前も仕事も人様から宛がわれるものだ。
だから、宛がわれたらそれを自分のものに加工していく。
好き嫌い得意不得手にかかわらず、宛がわれたら喜べ。
そして、それを自分のものにするのだと。』
確かに名前も職場も大概のことは人から与えられたものである。
名前は両親が命名し、職場は採用する側が判断する。
人生の節目や岐路は、案外第三者の宛がいではなかろうか。 ならば、宛がいを自分が主人公として生きれば、可能性が広がり、人間の幅が広くなるのではなかろうかと思う。
紀伊国屋書店創業者の田辺茂一さんが立川談志さんに言ったという、「囃されたら踊れ」という言葉も、宛がい扶持に相通じるものがある。
調子に乗れと言われたら乗ってみるのも面白い。
ひょんなことからまだ見ぬ自分の花が咲くかもしれないのだ。
ドラマやドキュメンタリーの映像を貸して、興味がないからと流してみる人もいる。
この類の人のコメントは、そつなくまとめるが本気で見ていないことが伝わってくる。
ごまかしが見えてくる。
のびしろは自らの心の置き所次第で広くもあり狭くもある。
老若男女にかかわらず。
いくつになっても、主人公で生きていくことが充実した人生になると思う。