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「許す・赦す・水に流す」

私の師匠から「天敵こそ我が師、天敵を敬え」と導きを得た。
また、娘が6歳の時、大きな事故に遭い左足を負傷した。
その時、「運転手さんを許す」と言った。
死ぬまでしていないから・・・。
爾来25年間、終生の課題となっている。
「許す」は相手の求めに応じてそれを許可する・認めるという意味があり、許す側に痛みが伴わないように感じる。
「赦す」はキリストのみ使えるものであり、完全な免責となる。
赦す側にも痛みが伴う感じがする。
「水に流す」は過去の経緯をなかったことにして、咎めない。
まぁ、解釈はさておき、実践することは難しい。
師は、天敵こそ自分を成長させてくれる粗砥石であり、自分が磨かれてくるという。
素直な私は、師の言うことも娘の言うことも実践しているつもりである。
確かに「ゆるす・水に流す」修行は自己との戦いである。
行きつ戻りつ、しながら「ゆるす・水に流す」「ゆるすわけにはいかない・水に流すわけにはいかない」、この両極の心の揺らぎが修行とともに少しずつ治まるようになってきた。
ところが事はそう簡単ではない。
自分のエゴが動き出すのだ。
自分だけがどうして・・・なければならないのか。
相手だって・・・じゃないか。
エゴと向き合い、修行していく事が自分の人生を豊かにしてくれることは実感している。
自他一如の世界を目指して師の教えや娘の言葉を拳拳服膺していく。