「社員食堂の風景」
丸の内にある、とある大企業の社員食堂。
ランチタイムになり、社員が一人二人と食堂に吸い寄せられてくる。
あるテーブルに社長の目がとまった。
片隅のテーブルに一人で食事を摂る部長がいた。五人掛けのテーブルに一人。
彼は黙って食べている。まわりのテーブルには四~五人が席につき、談笑しながら食事を楽しんでいる。
社長は「彼は部下からの評価・評判がよくないと部下の面談から聞いた。彼のまわりに社員が寄りつかない。慕われていないのだ。」と、心の中でつぶやいた。
社長は社員の声を聞いて、部長に対する見方、評価、ジャッジをしてしまった。
人は各々の自分のモノサシを持っている。
自分に都合のいい人は、よき人となる。それはそれで仕方のないことだ。
私も世界の中心は自分だと思っている。
眼の中にゴミクズが入っていれば、見るものを正しく美しく見ることができない。
心を整えよ。思いこみを捨てよ。美しい心で世界を見よ。これは、自戒する教えである。
私が社長であったならば、どう行動しただろうか。
いずれにしても、正解はない。誤りもない。ここで私なら…を述べてみたい。
人を批判、評価、ジャッジは、それはそれでいい。
が、その前に、ひとりで食事している部長のテーブルに行き、ともにランチを摂ったと思う。
相手はひとりで食事をしたかったかもしれない。だが慕われていないと解釈したのであれば慕ってあげたら、相手も自分もどれだけ心が光輝くだろうか。
人は、「呉下の阿蒙にあらず」というではないか。人間は自然の一員。草木のように外に向って、天に向って成長してゆくものだ。
太陽と水と空気と少しの肥料(優しさ)があれば人は育つと思う。優秀とは、モノ知りのことではない。
憂いのある人、憂いに秀でている人のことではあまいか。
憂いのある人になりたい。