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安岡正篤先生に学ぶ
『
人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、
いい書物に会うことを考えなければならない。こ
れを多逢聖因という。
人間は出逢いの連続である。よき出逢いもあれ
ば、悪しき出逢いもある。どんな出逢いをするか
は、その人がどんな思いで日々暮らしているかに
よる。
例えば、お金に価値を置く人は、お金にまつわ
る人と出逢う。
よくこんな話を聞く。私はだれだれを知ってい
る、と。しかし、街で偶然であった程度の出会い
は、魂と魂がふれあい自分の生き方に影響する出
逢いとはならない。名刺をたくさん集めてもただ
の紙切れに過ぎない。
読書もただ数多く読めばいいというものではな
い。本当の読書とは、一冊の本から自分の心に沁
みる箴言にも似たものを読み取ることをいう。
一冊の本を座右に置いて、何度も読み返す人は
間違いなくその本から大切なものを得ている。読
書とは本来そういうものである。
私淑する人の本を一〇年読み続ければ、その人
と出逢える。
結局、人は出逢いの中で自分の歩む道が作られ
る。よき出逢いをするには、漫然と生きてはなら
ない。場所によって、人によって、書籍によって
自分が磨かれてゆく。
相田みつをさんの詩に「よき出逢いを」という
のがあるが、出逢いは簡単なことではない。自分
の心に描いたとおりに出逢いがある。よき出逢い
は、よきこころのなせることだ。出逢いを求めて
はならない。出逢いは向こうからやってくる。