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安岡正篤先生に学ぶ
『潤い』

 「富は屋を潤し、徳は身を潤す」
 家に富が満ちてくると、何となく潤いを生じて
くるように、人間も徳を積むと、しっとりした潤
いを生じてくるものだ。
 財をなして家庭が潤うのはむずかしいことだ。
なぜ難しいか。それは、キンキラキンにモノも心
も着飾るからだ。つまり、傲慢っていうこと。潤
うどころか、金に物言わせ、金の臭いがプンプン
する。
 潤うまでになるには、金に苦労し、金のありが
たみが分かってからだ。聖書に「人はパンのみに
て生きるにあらず」とあるが、パンで苦しんだ人
がはじめて言える箴言だ。単なるきれい事を言っ
ているのではない。事実、イエスさまはお金に苦
労された。
 財を求めるに人としての道がある。また、財を
散ずるにも人としての道がある。たとえ自分の生
き方と違っていても、お金になることなら手段を
選ばない、というやり方もある。しかし、悪銭身
につかず、ではないが身の破滅となる。
 正々堂々とお金を稼ぎたい。渇しても盗泉の水
は飲まず、といえるためには、生活に困らない最
低限の稼ぐ力がいる。
 人間、いざとなったらうろたえる。そのために
日ごろから身を修め、勤めを果たすことである。
いくらお金をためても国家も銀行もあてにならな
い。我が家のたんす預金は、泥棒に入られたらお
しまいだ。結局、天に預金をするのが一番。つま
り、徳を積んでいく。人様のお役に立てる人間に
なることだ。銭金のそろばん勘定を弾かないで、
人に優しく、痛みを理解し、支えあって生きるの
が一番だ。